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神戸地方裁判所 昭和62年(ワ)748号 判決 1988年10月28日

原告

大南俊枝

外一名

右原告等訴訟代理人弁護士

荒木重信

右訴訟復代理人弁護士

藤井義継

被告

国際興業株式会社

右代表者代表取締役

大角敏彦

被告

吉田幸市

右被告等訴訟代理人弁護士

古本英二

主文

一  被告等は、原告等に対し、各自各金一八万〇〇三四円及びこれに対する昭和六二年二月一六日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告等の被告等に対するその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、原告等の負担とする。

四  この判決は、原告等勝訴部分に限り仮に執行することができる。

事実

一  当事者双方の求めた裁判

1  原告等

(一)  被告等は、原告等に対し、各自各金一〇〇〇万三一二一円及びこれに対する昭和六二年二月一六日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

(二)  訴訟費用は、被告等の負担とする。

(三)  (一)につき仮執行の宣言。

2  被告等

(一)  原告等の請求を棄却する。

(二)  訴訟費用は、原告等の負担とする。

二  当事者双方の主張

1  原告等の請求原因

(一)  別紙交通事故目録記載の交通事故(以下単に本件事故という。)が発生した。

(二)(1)  亡谷信代(以下単に亡信代という。)は、本件事故により、頭部、右肘、臀部の各打撲、頸部捻挫の各傷害を受けた。

(2) 亡信代は、右受傷につき次の治療を受けた。

(イ) 医療法人栄昌会吉田病院  昭和六二年一月五日から同年二月一四日まで(実治療日数二六日)通院。

(ロ) 長田眼科医院  右期間中一、二日。

(ハ) 中島医院  同年一月二一日、二月三日、二月一三日、通院。

(三)  亡信代は、昭和六二年二月一五日午後五時頃(推定)、自宅台所で縊首して窒息死した。

(1) 亡信代は、本件受傷後、頭部、腰部、腕の痛み、耳なり、目のかすみを訴え、これが高じて不眠、食欲不振を来たし、日々苦痛の連続となった。

(2) 被告等は、本件事故後数回亡信代の通院の送り迎えをしたが、その後はこれをなさず、しかも、亡信代の通院タクシー代、休業補償の支払もしようとせず、同人の精神的苦痛と経済的負担不安を倍加させた。

(3) 前叙吉田病院の担当医訴外福森豊和は、亡信代の治療につき親切さに欠けた。

(4) 亡信代は、右の如き事情が重なり、遂にノイローゼになり、自由意思を失い自殺した。

(四)(1)  被告国際興業株式会社(以下単に被告会社という。)は、加害車を所有し、自己のため運行の用に供していた。

(2) 被告吉田幸市(以下単に被告吉田という。)は、本件事故直前、被告車を運転して本件交差点手前に至り、右交差点手前の一旦停止線で停止したものの、右交差点に進入するに際し、自車左方の安全確認を怠った過失により本件事故を惹起した。

(3) よって、被告会社は自賠法三条により、被告吉田は民法七〇九条により亡信代及び原告等が受けた本件損害を賠償する責任がある。

(五)  本件損害

(1) 亡信代の損害

(イ) 治療費 金二万六二九〇円

(Ⅰ) 吉田病院 金八〇〇〇円

(Ⅱ) 長田眼科医院 金九三一〇円

(Ⅲ) 中島医院 金八九八〇円

(ロ) 通院交通費 金二万三六〇〇円

(Ⅰ) 吉田病院分 金二万二四〇〇円

(Ⅱ) 中島医院 金一二〇〇円

(ハ) 休業損害 金五万三三三三円

亡信代は、本件事故当時、訴外マルミヤ商店に勤務し、一か月金一〇万円の給与を得ていたところ、本件受傷のため、昭和六二年一月五日から同年一月二一日まで一六日間休業せざるを得なかった。

よって、本件休業損害は、金五万三三三三円となる。

10万円×16/30≒5万3333円

(ニ) 逸失利益 金八二四万九六四〇円

亡信代は、本件死亡当時五四歳であったところ、当時一か月金一〇万円の収入を得ていた。

亡信代の就労可能年数は、一三年であり、控除すべき生活費は、三〇パーセント相当である。

右各事実を基礎として、亡信代の逸失利益を算定すると、金八二四万九六四〇円となる(ただし、9.821は新ホフマン係数。)

(10万円×12)×9.821×0.7=824万9640円

(ホ) 慰謝料 金五二〇万円

(Ⅰ) 通院分 金二〇万円

(Ⅱ) 死亡分 金五〇〇万円

(2) 原告等の固有の損害

(イ) 葬儀費 金一四五万三三八〇円

(ロ) 慰謝料 金四〇〇万円

(ハ) 弁護士費用 金一〇〇万円

よって、原告等の固有の損害額は、合計金六四五万三三八〇円になるところ、その二分の一の金三二二万六六九〇円が原告等各自の損害となる。

(六)  相続

原告等は、亡信代の子等であるところ、亡信代の相続人として、同人の本件損害金一三五五万二八六三円の賠償請求権をその法定相続分にしたがい、その各二分の一宛各金六七七万六四三一円を相続した。

(七)  原告等各自の損害は、合計各金一〇〇〇万三一二一円となる。

(八)  よって、原告等は、本訴により、被告等に対し、各自本件損害各金一〇〇〇万三一二一円及びこれに対する亡信代死亡の日の翌日である昭和六二年二月一六日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

2  請求原因に対する被告等の答弁及び抗弁

(一)  答弁

請求原因(一)の事実は認める。同(二)中亡信代が本件事故により受傷したこと、同人が右受傷治療のため吉田病院へ通院したことは認めるが、同(二)のその余の事実は全て不知。同(三)中亡信代が昭和六二年二月一五日午後五時頃(推定)自宅台所で縊首して窒息死したこと、同(2)中被告等が本件事故後数回亡信代の通院の送迎をしたこと、被告等が亡信代に対し、通院タクシー代休業補償を支払っていないこと、同(3)中亡信代の吉田病院における担当医が訴外福森豊和(以下、単に福森医師という。)であったことは認めるが、同(三)のその余の事実は全て争う。本件事故と亡信代の自殺との間に相当因果関係がない。右相当因果関係が肯認されるためには、本件受傷の程度及び被告等の亡信代に対する対応があれば亡信代において自殺すると一般的に考えられるか、又は亡信代の性格から見て同人が自殺に至ることが被告等に予見可能であったことを要する。しかるに本件受傷の程度は全治七日間であり、亡信代のその後の症状も、頭痛、耳なり、目のかすみ程度であり、亡信代は吉田病院へ通院しながら日常家事に従事し、事故後僅か一六日を経過した昭和六二年一月二一日には早くも勤務に就いたのである。したがって、同人には、仮に計算能力に若干の低下があったとしても、そのことを原因として自殺するとは通常考えられない。又同人の性格から自殺することが被告等において予見可能であったかについて検討するに、同人の身近にいた原告谷美惠子ですら、亡信代の自殺を予見できなかった位である。したがって、被告等において亡信代の自殺を予見できるはずはない。福森医師も亡信代の自殺を予見できなかった。結局、本件事故と亡信代の自殺との間に相当因果関係は存在しない。因に、被告等が亡信代の通院の送迎をしなくなったのは、医師の診断を参考にその必要がないと判断したためであって、被告等としては亡信代においてタクシー通院を要するならば立替払で通院することを勧めていたのである。同(四)(1)の事実は認める。同(2)中被告吉田が本件交差点に進入するに際し自車左方の安全確認を怠ったことを否認し、同(2)のその余の事実は認める。同(3)の主張は争う。仮に、被告等に本件事故に対する責任が認められるとしても、被告等が負担する責任範囲は、亡信代の本件受傷による損害までであり、同人の自殺による損害は、右責任の範囲外である。同(五)(1)(ハ)中亡信代が本件受傷のため昭和六二年一月五日から一六日間休業したことは認めるが、同(五)(1)のその余の事実及び主張は全て争う。同(五)(2)の事実は全て争う。同(六)ないし(八)の事実及び主張は争う。

(二)  抗弁(過失相殺)

仮に、被告等が亡信代の本件受傷による損害につき責任を負うとしても、本件事故発生には、亡信代の次の過失が関与していた。

(1) 本件事故は、冬期の日没後相当の時間を経過して発生した。しかも当時降雨中であったため本件交差点内は相当に暗かった。

(2) 亡信代は、本件事故直前、前照灯の存在しない原告車(自転車)に乗り、無灯火のまま、しかも開いた傘を左手に持って頭上に掲げ、右手だけでハンドルを握って右自転車を走行させ、右交差点内に進入して本件事故を惹起した。

右事故は、亡信代の右の如き重大な過失により発生した。

よって、亡信代の右過失は、同人の本件事故による損害額(傷害分)の算定に当り斟酌されるべきである。

3  抗弁に対する原告等の答弁

抗弁事実及び主張は全て争う。

三  証拠関係<省略>

理由

一1  請求原因(一)の事実、同(二)中亡信代が本件事故により受傷したこと、同人が右受傷治療のため吉田病院へ通院したことは、当事者間に争いがない。

2  <証拠>を総合すると、次の各事実が認められ、その認定を覆えすに足りる証拠はない。

(一)  亡信代の本件受傷の内容は、頭部、腰部、右肘、臀部の各打撲、頸部捻挫であった。

(二)  亡信代は、右受傷治療のため、次の病院へ通院した。

(1) 吉田病院  昭和六二年一月五日から同年二月一四日まで(実治療日数二六日)。

(2) 長田眼科医院  昭和六二年二月九日。

(3) 中島医院  昭和六二年一月二一日、同年二月三日、同年二月一三日。

3  亡信代が昭和六二年二月一五日午後五時頃(推定)自宅台所で縊首して窒息したことは、当事者間に争いがない。

二1  被告等の本件責任原因に関する請求原因(四)(1)の事実、同(2)中被告吉田が本件交差点に進入するに際し自車左方の安全確認を怠ったことを除くその余の事実は、当事者間に争いがない。

2  <証拠>を総合すると、被告吉田は、右交差点に進入するに際し、右交差点の東西道路が東行一方通行である関係上、自車右方のみの安全を確認し、自車左方の安全確認を怠ったこと、したがって、本件事故は、被告吉田の右過失によって惹起されたことが認められ、右認定に反する被告吉田本人尋問の結果は、右各証拠と対比してにわかに信用することができず、他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。

3  右当事者間に争いのない事実及び右認定事実に基づけば、被告会社は自賠法三条に基づき、被告吉田は民法七〇九条に基づき、それぞれ本件事故によって生じた損害を賠償する責任がある。

しかして、被告会社と被告吉田は、不真正連帯債務者として連帯責任を負うというべきである。

4  ところで、亡信代の本件自殺が本件事故後であることは、前叙当事者間に争いのない事実から明らかであるところ、被告等が亡信代の右自殺による損害にまで責任を負うのか否かについて当事者間に争いがある。

よって、この点について判断する。

(一) 交通事故の被害者が事故後自殺した場合、当該事故の加害者に右自殺に基づく損害賠償義務を認めるためには、右交通事故の被害者がその被った精神的肉体的苦痛のため自殺を決意しこれを実行するということが、右事故によって通常生ずる結果といえるか、あるいは、加害者等において、被害者が右事故によって受けた苦痛のため自殺するに至ることを予見し、又は予見し得る状況にあったといえることを要するというのが相当である。

(二)  これを本件について見ると、次の如くである。

(1)(イ) 亡信代の本件受傷内容は、前叙認定のとおりであり、被告等が本件事故後数回亡信代の通院の送迎をしたこと、被告等が亡信代に対し通院タクシー代休業補償を支払っていないこと、

福森医師が吉田病院における亡信代の担当医であったことは、当事者間に争いがない。

(ロ)<証拠>を総合すると、次の各事実が認められる。

(Ⅰ) 福森医師は、昭和六二年一月五日の本件事故直後亡信代を診察したが、次の所見から、亡信代の本件受傷は傷病としては比較的軽度と判断し、管轄警察署へ提出する診断書に、全治七日間と記載した。

(a) 受傷全打撲個所中臀部に圧痛等を認める以外、他の打撲個所には、神経学的に明確な異常を認めない。

(b) 頭部、頸部のレントゲン検査においても、異常を認め得ない。

ただ、福森医師は、休業証明用診断書には、右診断書の効用を考慮し、一四日間の休業加療を要する旨記載した。

(Ⅱ) 亡信代は、同月七日、一二日、一九日になり、腰痛、項部の痛み、耳鳴り、視力低下、食欲不振、不眠等を訴えるようになり、腰痛については特に吉田病院の外科専門医の診察を受けたが特別問題はないとの診断であった。

そして、亡信代の愁訴の大部分は、頸部捻挫に基づく通常の症状であり、福森医師の助言により対応できる程度のものであった。

福森医師は、同人が必要と判断した場合は、医学上の一般的見地に基づき、事故から一週間程経過して、急性期の脳波異常が現出する可能性がなくなってから、脳波検査を実施するところ、亡信代の場合、同医師は、初診時の所見から、亡信代についてその必要を認めていなかった。

しかし、同医師は、同年二月五日、亡信代の希望により脳波検査を同月九日実施することにし、同日、右検査を実施したが、その結果は、境界型、即ち、全くの正常ではないが特別治療を要するような異常でもなく、治療を加えずに経過を見れば問題はないということであった。

(Ⅲ) 亡信代の吉田病院における治療内容は、福森医師及び同医師の不在時亡信代を診察した同病院の他の医師の、対症療法でまかなえるとの所見にしたがい、同年一月五日から同月一六日までは内服薬(鎮痛、精神安定剤。)投用、湿布治療、同月一六日からは右治療のほか頸部と腰部のホットパック(温湿布)を加え、同年二月九日からは、右治療のほか頸部と腰部の牽引が加えられた。

(Ⅳ) 福森医師は、亡信代の治療に際し、同人に対し、他の患者と異なった態度を採ったこともなく、医師として通常の治療行為を行ったものであって、亡信代との対応を粗略にしたこともなかった。

同医師は、その職業上、現在まで多数の亡信代の場合と同種の患者、就中亡信代より遥かに症状の重い患者の診療治療に従事して来たが、同医師の担当患者で自殺したのは、亡信代の場合が最初であり、同医師にとって、亡信代の自殺は意外であった。

(2)(イ) 亡信代が本件受傷のため昭和六二年一月五日から一六日間休業したことは、後叙のとおり当事者間に争いがなく、亡信代の本件受傷治療のための通院状況については前叙認定のとおりである。

(ロ) <証拠>を総合すると、次の各事実が認められる。

(Ⅰ) 被告吉田は、本件事故後一週間程、自主的に亡信代の通院の送迎をしたが、家庭の事情で右送迎ができなくなった。

(Ⅱ) 訴外前本雅夫(以下単に前本という。)は、本件事故当時、被告会社タクシー課安全管理係に勤務し、交通事故の事後処理に当っていたが、本件事故に関し、右事故の翌日である昭和六二年一月六日午後、被告吉田とともに、亡信代をその自宅に見舞い、同月九日、電話で亡信代の容態を尋ね、同月一六日、二三日亡信代をその自宅に訪ね、同人の受傷の状態を聞いた。

前本は、右のとおり亡信代の自宅で同人と面接した際、同人との間で、同人の通院交通費が問題になり、これについて、前本は、できたらバスで通院して欲しい、どうしてもバスで通院できなければ医師と相談してその証明があればタクシーによる通院費も支払うことはできるのでその場合はタクシーで通院して下さい旨応答した。

前本は、亡信代の休業補償についても、同人側から関係書類の提出があれば直ちに支払う用意をしていたし、亡信代から本件事故に関する申出があればそれに対応しており、同人は、本件の場合も、同人においてその職務上担当し又は担当して来た他の交通事故の被害者に対するのと同じ言動で接し、同程度の処遇をした。

(3) <証拠>を総合すると、次の各事実が認められる。

(イ) 亡信代は、本件事故当時、同人の二女で宅建業を営む原告谷美惠子と同居し、神戸市兵庫区水木通一丁目所在訴外マルミヤ商店(マージャン店)に店番として勤務して一か月金一〇万円の収入を得ていた。

亡信代と原告谷美惠子の家計は、右原告の収入によって賄われ、亡信代の得ていた右収入は、全て定期預金に廻わされ、右収入の外亡夫の貯えもあって、その生活の経済面は悪くなかった。

(ロ) 亡信代は、働くことが好きで、真面目であるが気が小さく、物事に拘泥する性格の持主であった。

(ハ) 亡信代は、本件事故後、日を追う毎に、同人の治療を担当している医師の処置処遇や被告会社担当者の対応に不満を述べ、頭痛等体の痛みを訴え、食欲不振、睡眠不足の状態になった。更に、亡信代は、本件受傷による休業から右勤務先から解雇されるのではないかとの不安を持つにようになっていた。

(ニ) 訴外谷口ちずよは、亡信代の義妹に当るところ、昭和六二年二月四日、亡信代と電話で話し合ったが、その際、同人は体調の悪さを述べ、勤めをやめようかと曳らしていた。右谷口は、これに対し、勤めをやめて暖くなるまで養生した方が良い旨勧めると、亡信代は、自分は働いていてこそ生きている実感が湧くが働けなくなったら死んだ方がましだと応答していた。

しかし、右谷口は、その時、亡信代が自殺するとまで思い至らなかった。

(4) 叙上の認定に反する、<証拠>は、前掲各証拠と対比してにわかに信用することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

<証拠>は、右原告が昭和六二年三月二七日作成した陳述書であるところ、右原告の右供述によれば、右陳述書は、本件事故当日から亡信代死亡までの経緯を右原告の記憶に基づいて記載したことが認められるも、亡信代と右原告との身分関係から見て、右記載内容自体には客観的な信憑力が薄く、未だ前叙認定を覆すまでに至らない。

(5)  上来の認定説示を総合すると、本件において、亡信代が本件事故により被った精神的肉体的苦痛のため自殺を決意しこれを実行するということが右事故によって通常生ずる結果であるということは困難であるし、被告等において亡信代が本件事故によって受けた苦痛のため自殺するに至ることを予見し、予見し得る状況にあったともいい難い。

したがって、本件事故と亡信代の自殺との間に、事実的因果関係の右両者間に相当因果関係の存在は認め得るにしても、存在を認めることは困難というほかはない。

(6) 右説示から、結局、被告等は、本件において亡信代の傷害による損害の範囲でその責任を負うと結論される。

三亡信代の本件損害(傷害分)

1  治療関係費 金二万三一三五円

(一)  亡信代の治療関係については、前叙認定のとおりである。

(二)  <証拠>によれば、亡信代の治療関係費は次のとおりであったことが認められ、その認定を覆すに足りる証拠はない。

吉田病院 金八〇〇〇円

(ただし、診断書料。)

長田眼科医院 金六一五五円

弁論の全趣旨によれば、右医院における治療費金六三一〇円中に昭和六二年一月五日分が含まれているところ、右治療費は本件事故前の分と認められるから、本件事故による治療費としては右昭和六二年一月五日分金三一五五円を控除した金三一五五円と認めるのが相当である。

したがって、右医院における治療関係費は、右金三一五五円と診断書代金三〇〇〇円の合計金六一五五円となる。

中島医院    金八九八〇円(ただし、内金五〇〇〇円は、診断書料。)

なお、長田眼科医院及び中島医院における治療については福森医師の積極的指示があったことは認め得ないが、亡信代の前叙症状経過から見ればその必要性がなかったとはいえないから、その治療費も本件損害と認めるのが相当である。

(三)  よって、亡信代の本件治療関係費は、合計金二万三一三五円となる。

2  通院交通費 金二万三六〇〇円

(一)  亡信代の通院状況は、前叙認定のとおりである。

(二)  <証拠>によれば、亡信代は通院交通費として合計金二万三六〇〇円を支出したことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

3  休業損害 金五万三三三三円

(一)  亡信代が本件受傷のため昭和六二年一月五日から一六日間休業したことは、当事者間に争いがなく、同人が本件事故当時訴外マルミヤ商店に勤務し、一か月金一〇万円の収入を得ていたことは、前叙認定のとおりである。

(二)  右各事実に基づけば、亡信代の休業損害は、金五万三三三三円となる(ただし、円未満四捨五入)。

10万円×16/30≒5万3333円

4  慰謝料 金二〇万円

亡信代の本件受傷の部位、通院状況は、前叙認定のとおりである。

右認定に基づけば、亡信代の通院慰謝料は、金二〇万円と認めるのが相当である。

5  叙上の認定説示を総合すると、亡信代の本件受傷による損害は、合計金三〇万〇〇六八円となる。

6  <証拠>によれば原告等は亡信代の子等であることが認められるから、亡信代の相続人として亡信代の本件損害金三〇万〇〇六八円の損害賠償請求権を法定相続分にしたがいその各二分の一を相続したというべきである。

よって、原告等が被告等に請求し得る本件損害は、各金一五万〇〇三四円となる。

四被告等の抗弁(過失相殺)

1  <証拠>を総合すると、次の各事実が認められ、その認定を覆えすに足りる証拠はない。

(一)  本件事故は、冬期の日没後相当の時間を経過して発生した。しかも、当時降雨中であったため本件交差点内は相当暗かった。右交差点内の照明は、右交差点の北東角と南西角に設置された蛍光灯の街灯によるのみであった。

(二)  亡信代は、本件事故直前、前照灯の存在しない原告車(自転車)に乗り、無灯火のまま、しかも、開いた傘を左手で頭上に掲げ右手だけでハンドルを握って、右自転車を走行させ右交差点内に進入し、本件事故に遭遇した。

2  右認定事実に基づけば、本件事故の発生には、亡信代の過失も寄与しているというのが相当である。しかしながら、本件においては、関係車輌の車種の相違、本件事故の態様、被告車を運転していた被告吉田の過失内容、被告会社の本件責任原因等を総合すると、亡信代の右過失に比し、被告等の本件行為の違法性、有責性は圧倒的に大きいというべきであるから、亡信代の右過失に基づき同人の本件損害額を所謂過失相殺するのは相当でない。よって、亡信代の右過失を同人の本件損害額を算定するに当り斟酌しない。

右説示から、被告等の過失相殺の抗弁は、採用しない。

五弁護士費用

各原告につき金三万円

弁論の全趣旨によれば、原告等は、被告等において亡信代の本件損害賠償を任意に履行しないため弁護士である原告等訴訟代理人に本件訴訟の追行を委任し、その際相当額の弁護士費用を支払うべく約したことが認められるところ、本件訴訟追行の難易度、その経緯、前叙請求認容額等本件に現われた諸般の事情に鑑み、本件事故と相当因果関係に立つ弁護士費用は、原告等につき各金三万円と認めるのが相当である。

六結論

1  以上の次第で、原告等は、被告等に対し、各自本件損害各金一八万〇〇三四円及びこれに対する本件事故の後であることが当事者間に争いのない昭和六二年二月一六日(この点は、原告等自身の主張に基づく。)から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める権利を有するというべきである。

2  よって、原告等の本訴各請求は、右認定の限度で理由があるから、その範囲内でこれ等を認容し、その余は理由がないからこれ等を棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条但書、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を、各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官鳥飼英助)

別紙交通事故目録

一 日時  昭和六二年一月五日午後七時二〇分頃

二 場所  神戸市長田区久保町一〇丁目五番一〇号 一般市道信号機設置のない交差点

三 加害車(被告)  被告吉田幸市運転の小型事業用乗用車

四 被害車(原告)  亡谷信代乗車の自転車。

五 事故の態様  亡谷信代は、本件事故直前、自転車に乗り、本件交差点の交差道路の内東西道路上を東方から西方に向け右交差点内に進入したところ、折から、加害車も、右交差道路の内南北道路上を北方から南方に向け右交差点内に進入し、右交差点中央部附近において、加害車の前部中央附近と被害車の側面中央附近とが衝突した。

亡谷信代は、右衝突によりその場に仰向けに転倒した。

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